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NO.2562   ある小学校で、鶏を食べた話  佐藤瑞雲  04/12-08:50  [ URL ]
ふみままさんの話

うちのウコはペットですけど
(何かの事情で食糧難になったとき)

または、鳥インフルエンザ問題でどうしようもなくなったとき、
処分する覚悟があると、家族に話してきかせたことがあります。
(末娘には鬼と言われましたけど)

私の話はこうですよ?
娘には鬼と言われました?そうですね年が経ち結婚してお乳を与える頃は、ふみままさんと同じ事を感じましょう、今は鬼で当たり前ですよ「娘さんに鬼の気持ちが有る、正常ですよ」

我が家のウコ管理犬が仔犬を6姫3太郎、子育ては見事です
鍋1杯の卵かけの飯と市販の餌食べていましたが?
夜管理しているはずが?オオカミか?

1羽の雌ウコを銜えて帰り仔犬に与えている現場を見ましたが
いくら管理している人間でも固体の持つ本能はかえる事は出来ません、子育て時期は鬼にも成りえる事を知られました

(親は子どもに満足に与えたい、市販の餌ではビタミンの摂取?よくは判りません?)

古い話満足げに父に?犬を買いました即

子供に満足に食べさせているのか?背筋が冷えました
大変良い機会に話を思い出させて頂ました,合掌。



NO.2565   @命の重み NHK番組で考えたこと  ふみまま  04/12-13:59
佐藤さん、こんにちは
さて、どこからお話ししましょうか。
昔、私がまだ10代の頃、NHKのテレビで若者(素人学生)がトライ実践する番組がありました。 いとうせいこうさんが司会だったと記憶しています。
ある回で、”夏休み特集 小中学生、農業牧畜実習にチャレンジ”というのがあって、この小中学生達が受け入れ農家の夕食に呼ばれることになったんです。
鶏料理が出てきました。彼らが今日午前中世話をしてあげた鶏の一羽だと知らされました。
誰も箸が付けられませんでした。泣き出す子もおりました。
小中学生達との議論の最中に、農家のおじさんは 諭すようにおっしゃいました。「人間に限らず生き物は 動物にしても植物にしても命をいただいて生きている。(食物連鎖)」
「君はスーパーで買った鶏肉なら平気だけど、今日の鶏肉はだめだという。でも両者はどこが違うというのかな。同じ命なのに。」
「例えばマクドナルドのハンバーガーはおいしく食べられても、ここの牧場の牛でハンバーガーを作ったとしたら、それは食べられないという。おかしくはないかな?」
そして にわとり掲示板で つくねさんがおっしゃったように、
「命のめぐみに感謝して、この料理を 残さず食べなければいけないよ」と。
当事20歳前の私は、この小中学生と大差ない気持ちではあったのだけれど、このことは深く心に残りました。
同じ命に対しこの差別は何だろう?
(スーパーの鶏肉と自分が世話した鶏の肉)
きれい事ではいけないし、
とぼけてもいけない。
目をそらしてもいけない。

たえかねて、「では 私は生涯、肉類は口にしない」というのでは 全く違う。
命の重みを知り、感謝して食べ物をいただく。このことが大切なのだ。

NO.2566   A命の重み 例えば獣医のお仕事  ふみまま  04/12-15:38
下記は、2年くらい前に インターネットであちこち検索してたら
偶然見つけたもの。(現物はもっと長文です。)
私は実は子供の頃動物のお医者さんになりたいと思ったこともある動物好きです。
「命の重みを知ること」今回のテーマにも多少関わる内容だと思ったので、ここに掲げます。

>「動物実験、解剖の実習など、生き物を殺すことなしに、 獣医師になることは できませんか?」という質問に対し現場獣医師の回答。

>「(略) 誤解されている方が多いのですが、
>獣医学という学問、獣医師という資格は、
>動物のためにではなく、人のためにあるものなのです。
>獣医学と獣医師が関わる職域の大半は、人の健康を守るための仕事であり、人のために動物を利用する仕事なのです。
>(その仕事の中において、無益な殺生や動物虐待を防止するのも獣医師ですけど)
>医師が直接的に人の健康を守るとすれば、
>獣医師は間接的に人の健康を守るのが本来の使命なのです。
>これは小動物臨床に携わる(すなわち街の動物病院の)獣医師も同じです。
>伴侶である動物のケア、ズーノーシスコントロールなどを通して、飼い主さん達の心身の健康に貢献していると考えられるからです。
>(略)
>さて、動物実験の是非については、過去に何度も書いてきたので、
>ここではあえて触れません。
>しかし、私は、自分の大事な患者に、最低限の毒性試験もされていないような薬を投薬する気にはなりません。
>(略)
>毎年1〜2人は、「解剖に供される犬も、病院で治療を受ける犬も同じ犬の命なのにおかしい」と言い出す者がいます。こういう人間は同級生から本当に嫌われます。
>同じ命であることなど、誰しも百も承知していることであって、
>みなその思いを黙って飲み込んで実習に参加しているのです。
>同級生の目は厳しいです。
>なぜ、解剖台の前に辿り着くまでに 自分なりの回答を見つけておかなかったのか、
>なぜ、心の整理もつけられずに取り乱すのか、
>なぜ、自分だけがさも動物好きのように振る舞うのかと。
>それで死んだ動物が生き返るわけではないし、感謝してくれるわけでもない。
>動物の死を無駄にしないということしか、学生には選択肢はないのです。それこそが、獣医師になるために「動物の死」に立ち会う第一歩であり、模型や図表では代わりにならない「命の重み」なのです。
>(略)
>例え開業して臨床医になったところで、お金を貰いながら、自分の患者で手術の練習をしてよいわけではないのです。
>心を持たないメスは、ただの凶器にすぎません。血のかよったメスにするには命の重さを知らなくてはなりません。
>( 模型を解剖することでは、私には命の重さは分かりません。
>  むしろ目をつぶってやっても恐くありません。
>  時間の早さを自慢するようになるかもしれません。 )
>命の重さを知り、死を恐れ敬う気持ちが
>獣医師には、必要であると考えます。(略)」

NO.2567   B佐藤さん、「鬼」はいない C私の覚悟  ふみまま  04/12-16:45
にわとり掲示板に書き込んだことに関して
私は私の三人の子供には命の重みについて語ったつもりでしたが。
まだ小学校6年生だった末娘には「鬼(の様にひどい)」といわれても
それは仕方がない。彼女には難しい課題。
彼女はその気持ちから始め、これから学習していく。

佐藤さんがカキコミの1部で おっしゃりたかったことは
うちの娘は「鬼(のようにひどい)と感じることができる 優しい心を持っている。これは正常だから安心してしてよい。」と解釈しましたが。
(そうでなければ前後関係が読み取りにくいので。)

他の生き物の命をいただいて 子育てもする。 
そのことイコール「鬼の仕業」とは 思っていないので、
そこは佐藤さんと私の意見の不一致でしょう。
佐藤さんちの管理犬ボーダーコリー椿ちゃんが 佐藤さんが大切に育てたウコをくわえて、子育てのために 子犬たちに与えた。
食べられてしまったウコも 今生きてるウコも同じ命なのに、と
佐藤さんにとってとても辛いことだったとお察しします。
でもそう感じることができるということが
命の重みを知ることにつながるのだと思います。

それだけに 今元気で生きているウコたちが、より愛おしいと思いませんか。
みんな生き続けられるわけではない現実。
で、逆に ボーダーコリーの椿ちゃんを 「鬼」にしてはいけません。
「鶏肉を料理し食べる人」である私も、
生きてる喜びいっぱいの鶏も、
ウコをくわえていった管理犬椿ちゃんも、
ウコの死を辛く思う佐藤さんも、
みんな命のつながり。
誰も 「鬼」ではないと思う。
命の重みを知る私たちにできることは、「残さずに食べる」ということ。

実験動物によってその有効性と安全性を確認された様々な薬。
命の重みを知れば、感謝し その1粒一粒を大事に服用し、
機能回復、健康回復に努めるべき。

鳥インフルエンザは 有効な治療薬がない、ワクチンもない。
今までに国内外の本当に多くの鶏たちが処分された。
私たちにできるのは知る限りの予防策の、できるだけのことをするということ。
そして、いつか、できるだけ早く、人間の英知で、今よりももっと犠牲の少ない解決方法が見つかることを信じ。
そう、みんなが待ち望んでいる!
そして私は忘れない。たくさんの鶏が殺処分されたことを。
あの辛い光景を忘れない。私は目を背けない。

そして万一、うちのウコが鳥インフルエンザ問題のために殺処分になるとしても、私はその辛さにに耐える。
それが、「この時勢になぜ鶏を飼いだしたの」と心で思っていただろうに、変わらずおつきあいくださった近所の人、友達に応えるべく
私の覚悟。
それが、人として、家族、地域社会を守るということ。

どんなに動物好きでも、限りある我が家。
人としての生活を崩してまで 動物をみんな受け入れてやれるわけじゃない。
人間の健康を管理し維持し、その上で動物と共存する。
それは大切なこと。
巡り会う動物全部全部飼ってやれるわけではない。
だから今、縁あって うちにいる子達がその分とても愛しい。
ウコも猫も犬もとても愛しい。

で、もしも、食糧危機で、食べるものに窮乏したとき、
(終戦直後の食糧難で 子供達を食べさせるのに苦労された現在80代のお年寄りのお話を聞き、感じたこと)
私も家族のために うちの鶏をさばきます。
これも私の覚悟。

NO.2570   汗汗鬼は居ませんね其のとおりです  佐藤瑞雲  04/12-19:13  [ URL ]
> にわとり掲示板に書き込んだことに関して
> 私は私の三人の子供には命の重みについて語ったつもりでしたが。
> まだ小学校6年生だった末娘には「鬼(の様にひどい)」といわれても
> それは仕方がない。彼女には難しい課題。
> 彼女はその気持ちから始め、これから学習していく。
>
> 佐藤さんがカキコミの1部で おっしゃりたかったことは
> うちの娘は「鬼(のようにひどい)と感じることができる 優しい心を持っている。これはは正常だから安心してしてよい。」と解釈しましたが。
> (そうでなければ前後関係が読み取りにくいので。)
>
> 他の生き物の命をいただいて 子育てもする。 
> そのことイコール「鬼の仕業」とは 思っていないので、
> そこは佐藤さんと私の意見の不一致でしょう。
> 佐藤さんちの管理犬ボーダーコリー椿ちゃんが 佐藤さんが大切に育てたウコをくわえて、子育てのために 子犬たちに与えた。
> 食べられてしまったウコも 今生きてるウコも同じ命なのに、と
> 佐藤さんにとってとても辛いことだったとお察しします。
> でもそう感じることができるということが
> 命の重みを知ることにつながるのだと思います。
>
> それだけに 今元気で生きているウコたちが、より愛おしいと思いませんか。
> みんな生き続けられるわけではない現実。
> で、逆に ボーダーコリーの椿ちゃんを 「鬼」にしてはいけません。
> 「鶏肉を料理し食べる人」である私も、
> 生きてる喜びいっぱいの鶏も、
> ウコをくわえていった管理犬椿ちゃんも、
> ウコの死を辛く思う佐藤さんも、
> みんな命のつながり。
> 誰も 「鬼」ではないと思う。
> 命の重みを知る私たちにできることは、「残さずに食べる」ということ。
>
> 実験動物によってその有効性と安全性を確認された様々な薬。
> 命の重みを知れば、感謝し その1粒一粒を大事に服用し、
> 機能回復、健康回復に努めるべき。
>
> 鳥インフルエンザは 有効な治療薬がない、ワクチンもない。
> 今までに国内外の本当に多くの鶏たちが処分された。
> 私たちにできるのは知る限りの予防策の、できるだけのことをするということ。
> そして、いつか、できるだけ速く、人間の英知で、今よりももっと犠牲の少ない解決方法が見つかることを信じ。
> そう、みんなが待ち望んでいる!
> そして私は忘れない。たくさんの鶏が殺処分されたことを。
> あの辛い光景を忘れない。私は目を背けない。
>
> そして万一、うちのウコが鳥インフルエンザ問題のために殺処分になるとしても、私はその辛さにに耐える。
> それが、「この時勢になぜ鶏を飼いだしたの」と心で思っていただろうに、変わらずおつきあいくださった近所の人、友達に応えるべく
> 私の覚悟。
> それが、人として、家族、地域社会を守るということ。
>
> どんなに動物好きでも、限りある我が家。
> 人としての生活を崩してまで 動物をみんな受け入れてやれるわけじゃない。
> 人間の健康を管理し維持し、その上で動物と共存する。
> それは大切なこと。
> 巡り会う動物全部全部飼ってやれるわけではない。
> だから今、縁あって うちにいる子達がその分とても愛しい。
> ウコも猫も犬もとても愛しい。
>
> で、もしも、食糧危機で、食べるものに窮乏したとき、
> (終戦直後の食糧難で 子供達を食べさせるのに苦労された現在80代のお年寄りのお話を聞き、感じたこと)
> 私も家族のために うちの鶏をさばきます。
> これも私の覚悟。


何回も拝見しました其のとおりですね

やはりこの定義は本流で話が来ましたね?有難う御座います
上記拝見して幅の広さを感じますし、人柄も見えてきます

事生き物を見て語り、飼う固体の成長を知り、発情し子供が出来
末は死に至るが?私は死しても活かすのです、果樹の根元に埋めてやる,有難うさんです

地に返す、死体は分解して4〜5年間果樹は豊富に実をつけて又私達の食卓で花開く時。

東京都の清掃業務さんの話は、人間のする事か、話か?
犬が死んだから取りに来て下さい、玄関先でギャギヤ泣き騒ぐそうです、行き先はごみとして??是が先進国の、髪の毛は抜けた途端にごみ汚い?是と同じでは可愛そうですね
中にはちやんとお墓を造り懐かしむ人が多分多いと信じたい、

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