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1ヶ月ぶりです 皆様お変わりありませんでしたか。 パソコンを修理に出し、ずっと往生していました。 ネットもメールもない。なんて不便なんでしょう! ここに訪れたくても、じっと我慢の日々でした。(涙) 玩鶏庵さんとのお約束を果たすべく、 画像掲示板 小屋画像掲示板に掲載予定、準備中です。
命について語ることは、大変難しいことです。
わかっていることは、 失われた命は 二度と戻ってこないということ。 代わりの命はないということ。 だから涙し、哀しみ いとおしむ。
「人の手が加わる愛護」も 「野生のまま」も 両極端。 私は なかやまさんのように 「やっとペットも家族の一員として法の保護を受けられるように…」に象徴される意見にも 佐藤さんのように 野生的で 生と死を ありのままに受けとめる意見にも 実はどちらにも100パーセントの賛成ができずに、 中途半端。
たとえばネコ 人間が保護すれば、繁殖期の度 3−4匹ずつ増えます。 現実は困る。誰が?人間が。どうする?避妊手術。 生きる喜び 生殖能力を その個体ごとに 永久にうばうのです。 子孫を残す、生きる誉れを。 我が家の猫たちは、1度の繁殖期(出産)だけで その後、避妊手術です。 彼らは もう、繁殖期の度に喜びの歌を歌うことはありません。 ごめんねごめんね 私は手を合わせて謝ります。
直木賞作家の坂東真砂子さんの振る舞いは 目も当てられないほどきついものですが、
動物愛護=避妊手術 つまり、殺処分しなくてすむ。これで問題解決。 …?本当? かって、隔離生活を強いられたハンセン氏病患者らは 避妊手術を強制され、彼らは二度と子孫を残せない。 基本的人権を奪われ。 ( 胎児感染はほぼない。遺伝する病気でもないし そもそも感染力はとても弱く もともと、隔離政策は 無用だった)
@自然(野生)に任せ、自然淘汰 弱肉強食の厳しさに耐える A避妊を含め、人間が動物の命を操作する不自然さという問題もはらむ動物愛護
@A、どちらの道を選んでも 生き物の死を前にすれば、人は 嘆き、悲しむのです。
@A、どちらか一方のみが 愛情深いというのではないですし、 どちらか一方のみが 絶対正しいというのでもないと 考えています。
なかやまさんの、動物に対する 真剣な気持ち。 拝見して、 大変心打たれるものです。 人間の家族に対する愛情と遜色ないもの。 でも、動物に対して それが100パーセント正解かどうかはわからないと 私は感じているのです。 うまくいえませんが。 @愛護 条件つきの愛 主役は人間 A野生 あるがままを受け入れる愛 主役はすべての生き物
佐藤さんも (舌足らずで、誤解されていますが)、 椿ちゃんを 「鬼」と憎らしく思うほど、ウコの死を悲しんでいたのは 事実です。 それは、わかってあげてください。
私も犬を飼っていますが、 現実問題として、 一度食べ物として味を覚えてしまった犬のしつけは 大変困難なものと 想像します。 佐藤さんは ウコたちと 椿ちゃんの間で ずっと苦しみ、あきらめにも似た気持ちを抱いたのではないでしょうか。 椿ちゃんに あくまで「管理犬」として仕事させるのであれば、 私だったら、プロの訓練士にしつけを依頼します。
問題のスレがすでにないらしいので、 論点がずれてるでしょうけど。 私が いつも考えていること。 自然と不自然。愛と試練。 答えを出せずに私はいつも迷っています。 ウコや犬やネコの顔を眺めながら。
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