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建ちゃん、そうですか?
私は小学3年生の時1年間の入院生活、退院後ノラリ・クラリの生活に父母が危機感を感じたのか、町の小鳥やよりチャボ2羽買って来てくれました
朝早く起きてすべての管理をしなさい、私には少し大変な仕事でありました 雛は何回産まれても10〜30日ですべて死にました「今で言う、ケイトウ」だったと思います
鶏小屋で母の胸内で、どれほど泣いた事か、母は何一つ話してはくれませんでした
その当時は私達に付ける薬もなく、ましてや鶏の薬など買う余力もないし 母の嫁入り着物も物々交換で最後は、ながもちの中はカラッポ全ては生活費だった、 その後はいろんな鶏を飼い我が家の、生活の足しになったのは勿論です、
「学校で書く絵はすべてがチャボ」 私だけでなく国家全てがこの庭環境でありました、 今年も年賀はチヤボの絵
この家に、八人の子を、そだてたる、おもひ出を追ふ、庭めぐりつつ〜母佐藤ハルエ
其れでは、また。
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