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明けましておめでとうございます。 いつも楽しみに拝見させていただいています。 最近私のような住宅地で鶏を飼っている素人さんがおられなくて、寂しいのですが、この新年に近況を報告させていただきます。 被災地の復興のため、交代で同僚がずっと派遣されています。 私にも声が掛かったら出られるよう準備をしておくよう指示があっていますので、そのときは微力ながら精一杯頑張りたいと思っています。
我が家の東京烏骨鶏たちは、相変わらず可愛らしくて、元気にしています。 仲良しさんで、砂浴びするのも日向ぼっこするのも、いつも一緒です。 4年ほど経ち、養鶏農家なら廃鶏として殺処分される歳を過ぎましたが、ペットなので家族同様、末永く仲良くしていきたいと思っています。 無声手術をしたアンテナちゃんも元気で、庭に出るとずっと歩いてついてくる、一番の甘えんぼさんです。
東京都青梅畜産センターのHPでは、年間190個の産卵となっていますが、素人が3畳くらいで人が入れる天井高さの小屋で庭先を散歩させて飼っていると、120〜150個くらいでした。 4年目に入ってだいぶ経った昨年の秋には、一斉に換羽し、9羽で週に15個くらいしか産みませんでした。 冬に羽が生えそろってこの2ヶ月は、若鶏の頃のように毎日6〜7個産み続けていて、「最後の大サービスかしら。」と思いましたが、先のことはわかりません。 こちらで皆さまに、私のような素人に優しくいろんなことを教えて頂き、元気に鶏を飼い続けることができ、ありがとうございました。
鶏を飼うきっかけとなった、卵かけご飯大好きな息子は、いつのまにか大学生になって、1人暮らしを始めました。 「理学部は東北大学が名門だから。」と志望していましたが、その後県内の九州大学に入学しました。 それは被災地の大学に抵抗があったわけではありません。 中学からの仲良しの、医学部を目指していた優秀な友人が、親の仕事がうまくいっていなくて、家計のためにずっとアルバイトをし、急激に成績が落ちて、「医学部どころか、どの学部でも国立は無理だ。」と言われるようになりました。 部活に明け暮れ、節電など気にも留めなかった息子は、受験勉強は寒い部屋で毛布にくるまってしていました。 「被災地には、受験勉強ができない環境の人も、進学自体できない人もいるよね。家から通えるとこにしか進学できない人も、沢山いるよね。」そう口にしていました。 わざわざ九州の自分が行って、貴重な枠をとってはいけないと考えたようでした。
卵かけご飯好きの家族がいなくなり、相変わらず烏骨鶏は歳を重ねて益々愛くるしく、眺めるだけで癒され、その上沢山産卵していますが、時々里親のNさんが、「直販所から、お客さんが20個何とかして欲しいと頼まれたって連絡があって、足りないから分けて。」と、もって行くようになりました。
Nさんは、「何年か前にね、前の畑に突然白い鶏が10羽くらいいたことがあるの。ふわふわした真っ白い羽の、それは美しい鶏で、あとで烏骨鶏と知ったの。 夜になると、みんな仲良く木の枝に止まって寝ていたわ。 翌朝見てみると、鶏は半分しかいなかった。野犬かイタチにやられたと思った。私が飼ってあげようと思って慌てて用意して翌日行ったら、白い羽が散乱しているだけで、1羽もいなくなっていた。 可愛そうなことをした、昨日のうちに連れて帰っていればと、悔やまれてならなかった。誰かが捨てたんでしょうけど、事情があったのでしょう。山や海に捨てれば簡単なのに、わざわざ人がいるところに置いていった。飼ってやればよかったと、ずっと後悔していた。 ちゃっぴーさんから鶏貰ったから、抱えていたものが下ろせたわ。」そう言って家で生まれたアンテナちゃんの兄弟たちを貰ってくれた里親さんです。
この1年が、鶏好きの皆さまにとりまして、いい1年となりますように、九州の住宅地より願っております。
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